さだまさし『案山子』についての考察 「松の木の精」&さだまさしのコラボ説

スポンサーリンク

 こんにちは、じぷたです。

 今回もさだまさしの歌詞を考察していきます。テーマは『案山子』。名曲中の名曲ですね。
 じぷたも中学時代にフォークギターでこの曲を練習しました。
 
 スリーフィンガー・パターンは『関白宣言』ですでにマスターしていたので、演奏的にも大きな苦労はなかったことと、シミジミとしていて、音域的にも歌いやすいこのメロディーが好きで、いつも指慣らしに弾いてたことを思い出しました。

 『案山子』は1977年11月にシングルが発表され、その翌年3月に発表されたアルバム『私花集』(アンソロジー)にも収録されています。

さだまさし『第三者』 別れる寸前の二人の描写 比喩表現がすごい!
この歌におけるラストオーダーとは「思い出美化」に向けた、しゃれた言葉掛けや思い出の振り返りのことを指していると思うのです。舞台である喫茶店、なお且つこの場面で、実際に注文するべきはどんなスイーツであるべきでしょうか。

 

さだまさし『つゆのあとさき』についての考察 歌詩の才能が非凡すぎる  
彼女は別れを切り出た「僕(彼氏)」に対して「幸せでした」「ありがとう」「忘れない」と伝えました。彼女は「僕」との親しい付き合いに対して、満足していたことを伝えています。その後、自分が至らなかったことについて「ごめんなさい」と告げています。

 

「さだまさし」の正しい理解のために ~さだまさしのちから~
「さだまさし」への世間の評価が作品の質の高さのわりに評価されていない、ってことです。ファンとしては、もう少し世間的に正しく理解され、音楽としての良さを楽しんでいただきたいと思い、この記事を書くことにしました。さだまさしには黄金期と呼ばれる時期があります。

 

さだまさし『主人公』についての考察 若者たちに向けた熱くストレートなメッセージ 
しらけ世代といわれた当時の若者たちも、過去の若者たち(さらに言うと今の若者たち)と同様に、若さゆえの苦しみや迷いを抱えているわけです。若者に対して、熱くストレートな言葉でメッセージを送るというのが『主人公』のテーマだと思います。

 

さだまさし『空蝉(うつせみ)』についての考察
老夫婦は駅にやって来ては息子を待つ、という生活を続けています。この日も、おむすびをもってきていることから終日待ち続けるつもりなのでしょう。夕暮れまで待ち続けたものの結局息子が駅に降り立つことはありませんでした。

 

 

父子説か兄弟説か または「松の木の精」説か 

スポンサーリンク

まずは歌詩を読んでみる

 まずは歌詞から読んでみましょう。

 以下、歌詞引用です。また、以降の青字は引用部分です。

『案山子』作詩・作曲 さだまさし アルバム『私花集』(アンソロジー)に収録

①元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
②寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

③城跡から見下せば 蒼く細い河
④橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突
⑤この町を綿菓子に染め抜いた雪が消えれば
⑥お前がここを出てから初めての春

⑦手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
⑧お前の笑顔を待ちわびる
⑨おふくろに聴かせてやってくれ

①元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
②寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

⑩山の麓煙吐いて列車が走る
⑪凩が雑木林を転げ落ちて来る
⑫銀色の毛布つけた田圃にぽつり
⑬置き去られて雪をかぶった 案山子がひとり

⑭お前も都会の雪景色の中で 丁度 あの案山子の様に
⑮寂しい思いしてはいないか
⑯体をこわしてはいないか

⑦手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
⑧お前の笑顔を待ちわびる
⑨おふくろに聴かせてやってくれ

①元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
②寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

スポンサーリンク

父子説なのか?

 穏やかで素朴ですが何故だか印象に残るイントロから始まります。
 4小節の20秒程度と短いですが、時がゆったり流れる感じを想起させるメロディであり、伴奏ギターのスリーフィンガーパターンとのマッチングも良い感じです。
 牧歌的な雰囲気が漂っており、この曲がいわゆる田舎のお話がテーマであることを感じさせます。

 印象的なイントロの後、Aメロが始まります。
 ①元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 ②寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る
 
 ①から分かるのは、相手が引っ越していったことです。
 街に慣れたかどうかを気にしていることから、引っ越し先の街の様子は、主人公(言葉の主)にも見当が付きにくい街であり、少々遠くにある街なのだろうと思われます。
 ②では懐事情の心配や早く帰ってきて欲しい気持ちを伝えています。
 そこから、このふたりは家族であり、主人公は保護者的立場の人物、引っ越したのは被保護者的立場の人物であることが分かります。

 ③④⑤では主人公が眺めている風景が描かれます。
 主人公の地元には川幅の狭い清流があるとの表現から、主人公の地元は川の上流域から中流域までにあることが分かります。また造り酒屋のある古い城下町で、積雪地であるようです。

 ⑤では雪のことを綿菓子と表現していることから、吹雪の雪景色というよりは、風は弱く、シンシンと柔らかく積もる様子を思い浮かべることができます。
 この歌の舞台は海沿いではなく、やはり盆地または谷間等の山あいの地域であることがここからも想起されます。

 次は重要ポイントです。
 ⑥では二人称を「お前」としています。
 「お前」に対応するのは一般的に言って「俺」となります。
 これまでのところで、二人は保護者と被保護者の関係性であることが分かっているので、したがって二人は「父子」であるというのが、「父子説」が世間的に広まった理由だと思われます。

 ちなみに被保護者が息子ではなく娘であることも、この時点では可能性が残っていますが、⑦で「金頼むの一言でもいい」と話していることから、被保護者の性別は女性である可能性は消滅します。
 「カネタノム」という言葉は、都会へ出てしまった息子の定番のセリフであり、娘が使うセリフではないからです。

父子説破綻 

 ①から⑦までは父子説が有力であってもおかしくはない雰囲気です。
 しかし、ここから問題が生じます。

 ⑧お前の笑顔を待ちわびる
 ⑨おふくろに聴かせてやってくれ

 ⑨の「おふくろ」とはだれのことなのでしょうか。
 「おふくろ」とは、自分の母親に対する呼称で一般的に息子だけが使う言葉です。父子説で話を組み立てた場合、登場人物は主人公(父)、主人公の息子、主人公の母(息子の祖母)の3人です。

 私も自分が子供の頃、この場面の「おふくろ」とは主人公の母(息子の祖母)である、と思っていました。しかしながら、この場面で主人公の連れ合いである「息子の母」が出てこないのは、いかにも不自然です。

 「父子説」であるなら、この歌の主題は親子の愛情となるはずであり、それにも関わらず「息子の母(主人公の妻)」が物語に一切登場しないのはあり得ません。したがってこの時点で「父子説」は主流から外れます。

本命は兄弟説

 さて、ファンの間で市民権を得ているのが「兄弟説」です。
 実際にさだまさしには年の離れた弟がいるのですが、年の離れた兄弟という設定だと、すべて辻褄が合うのです。

 ⑦手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
 ⑧お前の笑顔を待ちわびる
 ⑨おふくろに聴かせてやってくれ

 ・弟に対して経済的支援をしている兄の思いが綴られている。
 ・兄にとっての「おふくろ」は当然弟にとっても「おふくろ」である。
 
 年のはなれた兄弟の設定であれば、解釈を否定する要素は見当たりません。

 私は出典を直接確認できていないので2次情報になるのですが、さだまさし本人により「案山子」について次のように明かされているようです。

 ㋐歌の舞台は島根県津和野町である。
 ㋑列車はSLやまぐち号(JR山口線)を指している。
 ㋒城跡とは標高370mにある津和野城址である。
 ㋓主人公はさだまさし自身であり、「おまえ」とは年のはなれた弟(佐田繁理)のことである。
 ㋔繁理の台湾留学時に思っていたことを歌詞にしている。

 これらの条件を踏まえて歌詞を読むと、歌詞に不自然さは全くありませんし、辻褄もすべて合うことになります。

 なにより、作詩者であるさだまさしにより明らかにされた設定なので、これ以上なく正当な解釈であると言えます。

もう一つの事実 「松の木の精」からのメッセージ 

 しかし、もう一つ新しい説があります。

 2019年12月17日付朝日新聞デジタルの記事で知ったのですが、『案山子』を創作した際の裏話を、テリー伊藤著『歌謡Gメン あのヒット曲の舞台はここだ!』の中でさだまさし自身が次のように明かしていたことが記されています。

 要約すると内容は次の通りです。

A「日本のふるさと」の情景の典型は、津和野城跡から見下ろしたときの街の風景であると思う。
B津和野城の別名は三本松城と言い、敷地内に大きな松がある。
C『案山子』の歌詞では、都会へ出てしまった若者に対して「松の木の精」が語りかけている。

 この内容を知ったときには少々驚きました。

 しかし、さだまさし本人から明かされた内容とはいえ、すべて松の木の精のセリフとは考えにくいです。

 あるとするならば、部分的に「松の木の精」の思いが綴られていると考えるのが妥当であり、さだまさし本人と、さだまさしが感じた「松の木の精の感情」が合致して一つのフレーズになったと考えるのが自然です。

 例えば、⑦手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい、のくだりは、松の木の精としては語りにくい部分です。手紙を受け取ることも、電話口に出て話をすることも、金の工面も、松の木の精とっては実現できないことだからです。

 ならば、さだまさし本人と、さだまさしが感じた「松の木の精の感情」が合致して一つのフレーズになったという部分はどこなのでしょう。

 ①元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 ②寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 この部分だと私は思います。

 「相手のことを案ずる」というのは、郵便を受け取る等のこととは違って、松の木の精にも可能です。もっと言うと、「案ずる」という行為自体が、むしろ(松の木の)妖精の得意分野というかアイデンティティに近いところだと言えるでしょう。

 また、①②のフレーズは歌の中で3回出てきます。
 全く同じ歌詞を3回も繰り返すのは、さだまさしの作品の中では珍しいとことです。

 さだまさし本人と、さだまさしが感じた「松の木の精の感情」が合致して一つのフレーズになった部分だからこそ、3度も同じ歌詞が繰り返されているのではないでしょうか。

まとめ

 『案山子』の歌詞は離れて暮らす肉親への愛情をテーマにしています。
 そこには、兄さだまさしと弟繁理の個人的物語が描かれます。

 それに併せて、故郷から都会へ出た「若者」に対するさだまさしの思いが、「松の木の精」の視点を通して語られているのだと思います。

 兄弟説が破綻するのではなく、「兄弟説」に「松の木の精」の視点が付け加えられている、というのが私の解釈です。

 『案山子』は多くの人に知られている曲です。また、さだまさしが作詩した作品群の中では、いわゆるアンチもおらず、ファンに限らず世間的にも評価の高い曲だといってよいでしょう。

 そのような曲でも新しい事実をもとに考えると、別の面が見えてきて楽しいものです。

 この記事を読んでくださっている方なら、『案山子』という歌を知らない方は少ないと思いますが、楽曲的にも歌詞的にも内容が深いですので、改めて聞き直してみていただけるとファンとして嬉しいです。

 それではまた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました