「さだまさし」の正しい理解のために ~さだまさしのちから~

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 さて、今日は「さだまさし」を取り上げます。

さだまさし『第三者』 別れる寸前の二人の描写 比喩表現がすごい!
この歌におけるラストオーダーとは「思い出美化」に向けた、しゃれた言葉掛けや思い出の振り返りのことを指していると思うのです。舞台である喫茶店、なお且つこの場面で、実際に注文するべきはどんなスイーツであるべきでしょうか。

 

さだまさし『つゆのあとさき』についての考察 歌詩の才能が非凡すぎる  
彼女は別れを切り出た「僕(彼氏)」に対して「幸せでした」「ありがとう」「忘れない」と伝えました。彼女は「僕」との親しい付き合いに対して、満足していたことを伝えています。その後、自分が至らなかったことについて「ごめんなさい」と告げています。

 

さだまさし『主人公』についての考察 若者たちに向けた熱くストレートなメッセージ 
しらけ世代といわれた当時の若者たちも、過去の若者たち(さらに言うと今の若者たち)と同様に、若さゆえの苦しみや迷いを抱えているわけです。若者に対して、熱くストレートな言葉でメッセージを送るというのが『主人公』のテーマだと思います。

 

さだまさし『空蝉(うつせみ)』についての考察
老夫婦は駅にやって来ては息子を待つ、という生活を続けています。この日も、おむすびをもってきていることから終日待ち続けるつもりなのでしょう。夕暮れまで待ち続けたものの結局息子が駅に降り立つことはありませんでした。

 

さだまさし『案山子』についての考察 「松の木の精」&さだまさしのコラボ説
『案山子』には兄弟の物語が描かれています。それに併せて、故郷から都会へ出た「若者」に対するさだまさしの思いが、「松の木の精」の視点を通して語られています。「兄弟説」に「松の木の精」の視点が付け加えられている、というのが私の解釈です。

 

 

さだまさしはもっと評価されて良いはず

 
 実はわたくし、さだまさしのコアなファンなのであります。
 実は・・・って程のことでもないのですが、今までブログでは公表していませんでした。ブログのプロフィールにも書いてなかったです。

 隠していた訳ではもちろんなくて、「さだ好き」であることが当たり前すぎて、わざわざ書いてなかったってところです。
 じぷた通信社を始めたときから、いつかネタにしようと思っていたので、今日は記念すべき「さだ特集(第1回)」なわけですね。

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さだまさしとの出会いは母の影響

 さだまさしと出会ったのは母の影響です。
 『関白宣言』が発表された時、じぷたは6歳。今となっては歌詞の深い意味は解っていませんでしたが、強烈に心に刺さったのを覚えています。母が『関白宣言』のシングルレコードを購入しており、喜んで聴いているうちに体に染み込んでしまいました。
 小6の頃、気が付けば家には他にも母購入のアルバムが4枚ほどあり、以来、本格的に聴きまくりましたので35年くらいは付き合っていることになりますね。

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NHKの評価と世間の認識 正しく理解して楽しんで欲しい!

 さて、そんなコアな「さだファン」であるじぷたが思うのは・・・作品のクオリティーが高い割に世間の評価が追い付いていない、ということです。
 もうちょっと正確に言うと、評価されていないのではなく、もっと評価されて良いと思うのです。

NHKの評価は高い

 NHKはさだまさしを高く評価してくれているようです。
 紅白歌合戦の常連となっていたり、その紅白の中盤に行われる全員合唱の楽曲を提供することがあります。
 また「鶴瓶の家族に乾杯」の主題歌に採用されたり、年末年始等には不定期で「年の初めはさだまさし」と言った冠番組(ただし音楽を中心としたものではなく、ほとんどトーク番組)を持っています。

世間的な評価はどうか?

 一方、世間ではさだまさしに対する芳しくない評価もあります。
 どの曲も同じに聞こえる、何とか宣言の人、何を言っているのかわからない、右翼的、根暗、などなど。

 実際に職場での会話の中で、同僚から「根暗」の比喩としてさだまさしがでてきました。いつの時代のトークかと思われるかもしれませんが、現在(2020年)のお話です。
 内密に申し上げますが、じぷたの周りには、さだまさしと南こうせつと混同している高齢者層が驚くほどいてびっくりします。

正しく理解してさだまさしの歌を楽しんで欲しい!

 しかし、上記のような悪評は全く正しくありません。ぜひともきちんとした形でさだまさしの歌を聴いていただきたいと思います。
 コアなファンとしては、一般層に「さだまさし」という存在を正しく理解していただき、純粋に音楽としての良さを楽しんもらいたいと思い、この記事を書くことにしました。

生い立ちから導かれた謙虚な人柄

 さて、さだまさしの力を語る前に、改めて彼の人生を文字でなぞってみましょう。
 ネットで調べると山のようにエピソードがありますので、スーパーダイジェストでまとめます。

さだまさしの生い立ち

1 父は材木商を営み経済的に裕福な家庭に生まれる
2 水害で父の事業が失敗、豪邸住まいから長屋へ移り住む
3 3才で始めたバイオリンで才能発揮、小学生の頃には天才少年と呼ばれる 
4 バイオリンで身を立てるため、中学入学に併せ単身上京 
5 都立駒場高校芸術科を受験するも失敗
6 国学院高校へ入学するがバイオリンへの情熱が消滅
7 国学院大学法学部へ進学するがほとんど通わずに中退、数々のアルバイトを行う
8 体調を崩し(肝炎)、長崎の実家へ帰る
9 フォークデュオ・グレープを結成し、『雪の朝』でデビューするが全く売れない
10 歌詞にこだわって作った『精霊流し』がオリコン2位のヒット
11 『精霊流し』以降はジリ貧、体調の悪さもありグレープ解散し、療養へ
12 ソロでの音楽活動を始め『雨やどり』や『秋桜』等のヒットの後、『関白宣言』が大ヒット

 まとめにまとめても12のネタになってしまいました。ダイジェストとは言えないボリュームですね。ちなみにこの他にも、映画作製の負債額35億円というネタもあります。

浮き沈みの激しい人生から生まれた謙虚さ

 文字でさだまさしの人生をたどってみただけでも、ハッピーとアンハッピーの差がとても大きな人ですね。
 新聞をにぎわすほどの天才バイオリン少年と呼ばれていたのに音楽高校の受験で失敗しています。 デビューが決まったのは良いが、曲が全くといっていいほど売れませんでした。『精霊流し』がオリコン2位までいったのに、ほどなくグレープを解散します。療養が必要なくらい体調が悪くなりますが、ソロ開始後に「関白宣言」が爆発的に売れます。

 昭和の時代、三歳からの続けた努力、周囲からの期待、東京で一人暮らし、中学生、その条件を満たした上で・・・高校受験失敗!これは精神的に堪えますよね。
 さだまさしが著名人でありながら、謙虚さを保てるのは、明暗を激しく繰り返す人生に起因しているのかもしれません。

さだまさしの黄金期

 さて、さだまさしには黄金期と呼ばれる時期がありまして、具体的には1970年代の終わりから1980年代の半ばくらいだと考えられます。
 作詞は時期を問わず良いものを生み出していますが、作曲面では、一般層にも広がるヒット曲が集中しているのがこの時期ですし、なにより声質的に脂が乗っているのがこの時期です。

 日本中にさだまさしの名をとどろかせた「関白宣言」を始め、右翼的と言われた『防人の詩』、大学入試の問題にも歌詞が活用された『案山子』、ファンの間での人気ナンバーワンの『主人公』、じぷたが好きな曲『道化師のソネット』などもこの時期に発表されたものです。

 一般層の多くが思い浮かべる、さだまさしの顔、声、曲はこの時期のものが多いと思います。これから述べるさだまさしの「力」については、この第1次黄金期のさだまさしを念頭に書きますのでご承知願います。

さだまさしの正しい理解のために

 さて、前座が長くなりましたが、いよいよさだまさしの力について考察を始めましょう。
 タイトルは「さだまさしの正しい理解のために~さだまさしのちから~」です。

歌詞のちから 研究する価値がある

 さだまさし、といえば歌詞が良いという評価が一般的にあるといってよいと思います。
 まずは歌詞のことについて考えます。

 アルバム『夢供養』の『まほろば』という曲の中で、このような歌詞があります。
 ※なお、歌詞は抜粋ですのでご承知願います。以下引用です。

㋑たとえば 君は 待つと 黒髪に霜の降るまで 待てると言ったが
㋺それは まるで宛名のない 手紙

 じぷたは中学生の頃、「黒髪に霜の降るまで・・・」のフレーズを聞いて、この歌詞に心を刺されました。こんなことを思いつける発想力が信じられませんでした。

 大きくなってから万葉集からの引用であることを知りましたが、知識の豊富さにさらに感心したり、逆に本歌取りの元の作者の発想力にも関心したりしました。
 調べたり勉強すると新しい解釈にたどりつけるところがさだまさしの歌詞のすごさなのです。

 インターネットで検索すると、さだまさしの歌詞の解釈について議論しておられるサイトがありますし、日本の各地にある「さだまさし研究会(通称:さだ研)」では現在も活発に歌詞解釈について議論されています。
 
 さだ研は日本の有名大学の多くにあります。サークル活動ではありますし、ピーク時よりも人数も団体数も減少傾向ではありますが、その数の多さから考えても、さだまさしの歌詞が研究や趣味の対象と成り得ることの証明でもあります。

楽曲のちから 希代のメロディーメーカー

 楽曲については理屈で考えることもできますが、まずは聴いてもらうのが一番良いと思います。いかに心に突き刺さる旋律を書けるか。メロディーメーカーとしてのパワーがとび抜けているのがさだまさしです。

 さだまさしの楽曲は、①新鮮さ(似たものがない)があり、②キャッチ―(人の心をつかむ)で、③音楽的な知識に裏付けがあります。その点で良質な楽曲だということができます。

 さだまさしには『まさしんぐTOWN~一番街の詩~』というアルバムがあります。
 これはさだまさしの楽曲をオーケストラ用に編曲し、新日本フィルが演奏したアルバムです。このアルバムの存在が楽曲の良質さを証明するものだと思います。ちなみに指揮は山本直純さんです。

 音楽は本能に訴える部分も大きいので、さだまさしを今から聴き始める方は、メロディーにポイントを置いて聴き始めると「さだワールド」に入っていきやすいと思います。
 『晩鐘』『道化師のソネット』『主人公』『つゆのあとさき』等です。歌詞の良さを差し引いて聴いても十分満足できる完成度です。

視点の多様性

 基本的にというか前提というか、まずもって歌(詩)というものは愛情を表現するものなわけです。
 これは旋律のない和歌ももちろんですが、少々強引な言い方をすれば、歌詞のない鳥のさえずりも同様に愛情を表現するための歌だと言えます。もちろん、さだまさしの歌も愛情表現を表現するものです。

 さだまさしの歌も愛情を表現しているのですが、しかし、その愛情の種類は多岐に渡ります。

 自分をフッた相手に対して、生まれ育った地域に対して、息子や娘に対して、死別した配偶者に対して、祖父や祖母に対して、長年連れ添ったパートナーに対して、なじみの喫茶店のマスターに対して、など非常に多種多様です。

 例えば『案山子』では兄から年の離れた弟への愛情が曲のテーマとなっています。雪景色の田んぼの中に1人たたずむカカシをみて、上京した弟が寂しい思いをしているのではないかと案じている兄の心情が描かれています。普通の作詞家では、ほぼ採用されない設定だと言えるでしょう。

 また、さだまさしの名曲と言われるものの中に『北の国から』があります。
 この曲には歌詞といえるものがありません。全編を通してハミングやラララで歌われています。
 この曲は北海道富良野の大地、自然、住む人に対する愛情を歌っているとじぷたは考えます。テーマが壮大で、またその愛情や想いが歌詞抜きに伝わってくるからこそ、名曲だと言われるのではないでしょうか。

まとめ

 良質な楽曲、多様な視点を持ち深みのある歌詞、それを兼ね備えた曲を提供できるシンガーソングライターがさだまさしです。

 聴く価値が十分にあるアーティストですので、冷静な気持ちで聴きなおしてみてはいかがでしょう。

コメント

  1. TTL より:

    さださんの詩、いろいろな解釈できますね。
    私の解釈を読んでみて下さると幸いです。
    https://ameblo.jp/ttl-nikomat/
    よろしくお願い致します。

  2. […] […]

  3. […] […]

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