こんにちは、じぷたです。
今回のさだまさし研究は、『主人公』をテーマに考察していきます。
『主人公』は1978年3月に発表されたアルバム『私花集』(アンソロジー)に収録されています。
さだまさしファンの中でも評価は非常に高く、ユーキャン(U-CAN)が実施した「さだまさし国民投票」では堂々の1位となりました。
『主人公』…良い曲ですよね。ほんと。
編曲はジミー・ハスケル氏。
一つ前に発売されたアルバム「風見鶏」でも弦編曲を手掛けていた方ですね。世界的アレンジャーなのだとか。
『主人公』 当時の若者たちを勇気づける名曲
さて、それほどまでにファンに愛されている『主人公』の歌詞を読みなおして、じっくりと味わいたいと思います。
さだまさし自身が「当たり前のことしか言っていない」という歌詞です。
どのような思いが込めらているのでしょうか。
まずは歌詞を読んでみる
まずは歌詞から読んでみましょう。
以下、歌詞引用です。また、以降の青字は引用部分です。
『主人公』 作詩・作曲 さだまさし アルバム『私花集』(アンソロジー)に収録
①時には思い出行きの旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
②「あの頃」という名の駅でおりて「昔通り」を歩く
③いつもの喫茶店(テラス)には まだ時の名借りが少し
④地下鉄(メトロ)の 駅の前には「62」番のバス
⑤鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街
⑥そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる
⑦あなたの眩しい笑顔と友達の笑い声に 抱かれて私はいつでも必ずきらめいていた⑧「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど
⑨時を遡る切符(チケット)があれば欲しくなる時がある
⑩あそこの別れ道で選びなおせるならって
⑪勿論 今の私を悲しむつもりはない
⑫確かに自分で選んだ以上精一杯生きる
⑬そうでなきゃ あなたにとても とてもはずかしいから
⑭あなたは教えてくれた 小さな物語でも 自分の人生の中では 誰もがみな主人公⑮時折思い出の中であなたは支えてください
⑯私の人生の中では私が主人公だと
アルバムを開き、思い出がよみがる
緩めのテンポ、軽く郷愁を誘うギターのメロディを中心に前奏が始まります。
ハープの使用により、思い出の世界に一気に引きこまれる感じを上手く表現していると思います。弦楽器とフルートが対旋律を奏でますが、それにより透明感が醸し出されています。
①時には思い出行きの旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
②「あの頃」という名の駅でおりて「昔通り」を歩く
比喩表現が多く使われています。
「歌詞の中心人物である女性」(以下、「この女性」)が、「昔の思い出に浸りたくなる、そんなときもあるよね」と思うところから物語が始まります。
「思い出行きの旅行案内書(ガイドブック)」とは写真アルバムを指していると考えられます。
また、冒頭に「時には…」とあることから、この女性は、偶然アルバムを開いて思い出に浸ってしまったのではなく、自らアルバムを開きたくなったと考えるのが自然です。
そして、②「あの頃」という名の駅でおりて「昔通り」を歩く
とあります。時期と場所をある程度思い浮かべているところから、この女性が浸りたいのは「特定の思い出」なのでしょう。
場所のモデルはどこか? 御茶ノ水もしくは新宿御苑 しかし…
ファンの間では歌の舞台がどこなのか話題になりました。
御茶ノ水と新宿御苑が主たる意見ですが、ヒントとなるのは次のフレーズです。
④地下鉄(メトロ)の 駅の前には「62」番のバス
⑤鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街
地下鉄駅がある、バス路線62番系統が通っている、プラタナス並木がある、古い広場がある、学生街である。
そのような条件を満たしている場所が舞台となるはずです。
様々な方がネット上で持論を展開しておられます。
御茶ノ水を押す理由
- 昔は62番系統のバス路線が通っていたとの証言あり
- 曲の発表当時にも学生街で今よりもさらにたくさんの学生がいた
- プラタナス並木もある
- 有名な喫茶店があった
新宿御苑を押す理由
- プラタナス並木といえば新宿御苑
- 新宿御苑のプラタナナス並木付近には広いスペースがあり若者たちに人気がある
- 新宿にも高田馬場といった学生街がある。
プラタナス並木の新宿御苑 曲の雰囲気は御茶ノ水 しかし正解は…
ファンの皆さんの意見としては御茶ノ水を推す声が多いように思います。
「曲を聴いた瞬間に御茶ノ水を想像した」という意見も多く見受けられました。
上記のそれぞれを押す理由からも、なんとなく御茶ノ水の方が優勢かとも思います。
一方で、新宿御苑のプラタナス並木をネットで拝見したところ、じぷたが想像する『主人公』の舞台に概ね合致しているような気がしました。
パソコン画面上なので、あくまで「概ね」ですが。
じぷたは東京に住んだことは無いのですが、なんとなく新宿御苑の画像は『主人公』の舞台に合うような気がするのです。特に秋の写真は。
しかしながら、さだまさし本人の証言(ただしインターネット上での、しかも伝聞なので2次情報以下の信頼度です)によると、62番系統のバスはイメージ上のもの、また地下鉄の駅も具体的な設定はない、との発言があったという情報があります。
情報が本当なら、御茶ノ水説も新宿御苑説も説得力を失ってしまいます。
ネット上にも書いていた方がいらっしゃいましたが、『主人公』の舞台は「まさしんぐタウン」の中に存在する、というのが正解なのかもしれません。
あなたの魅力で私も輝くことができた…
さて、先を急ぎましょう。
⑥そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる
⑦あなたの眩しい笑顔と友達の笑い声に 抱かれて私はいつでも必ずきらめいていた
服の模様さえ覚えているということは、相当に彼氏のことが好きだったのでしょう。いつも、いつも(あなたのことを)見ていた、ということですね。
それほどまでに好きだった彼と、友人達に囲まれて、この女性は楽しい日々を送っていたようです。
自分で自分のことを「きらめいていた」と言えるのは、中々できません。というか不自然です。
実生活で自分自身を「きらめいていた」と言っちゃったりする人は、相当な自信家か鼻もちならない奴なのか、いずれにしても良い感じとは言い難い人物だと言えます。
しかし、『主人公』を聴いていて、この女性をいわゆるヤナ奴だと思う人は多くないと思います。
したがってこれは、自分で自分を「きらめいていた」ということにより、自分に光を当ててくれた「あなた」と「友達」の存在を持ち上げる表現をしたかったのでしょう。
高度なへりくだりとも言えばよいのでしょうか。
いずれにしても、この女性はハッピーな学生時代を送っていたことが伝わってきます。
ちなみにじぷた的には、この女性と彼氏及び友達がコカ・コーラのCM(挿入歌『I feel cook』)で脳内再生されています。
あのCMは本当に良いものですよね。
「小さな物語でも…」この一言が心に刺さる!
さて、2番の歌詞では次のように進みます。
⑧「或いは」「もしも」だなんてあなたは嫌ったけど
⑨時を遡る切符(チケット)があれば欲しくなる時がある
⑩あそこの別れ道で選びなおせるならって
⑪勿論 今の私を悲しむつもりはない
「過去の分かれ道を選びなおしたい」。この女性は、弱気になった自分の心情を自覚します。
しかし、自覚した直後に、それではいけないと気持ちを前向きに切り替えます。アルバムのページを進めているうちに、彼氏の写真が見えたのかもしれません。
自分の力で強引に気持ちを持ち直したのか、彼氏の写真の力がそうさせたのか、はたまた両方なのか。歌詞のこの部分だけではわかりません。
⑫確かに自分で選んだ以上精一杯生きる
⑬そうでなきゃ あなたにとても とてもはずかしいから
「確かに自分で」とあることから、この女性は人生の分かれ道を「自分で」選択したことを自覚しています。自分で選択したことに対して精一杯頑張ることは、当然とも言えますが、少し頑張り過ぎかとも思います。
⑭あなたは教えてくれた 小さな物語でも 自分の人生の中では 誰もがみな主人公
この女性は、彼の存在なしに現在の自分は存在しない、と考えているのでしょう。彼は自分を輝かせてくれたいわば太陽のような存在だからです。なにせコカ・コーラのCMのような青春時代を送ることができたのも彼のおかげだったわけですから。
きっと彼は、この女性が進路を迷っているときに、彼女自身の想いを優先するように後押ししてくれたのではないでしょうか。
小さな物語であっても本人にとっては人生そのものです。その人生の分岐点で迷いを断ち切るように言葉をかけてくれた彼氏。
やはりこの女性にとって、とてつもなく大きな存在です。
だからこそ、彼の思いに報いなければならない。それには、自分の選んだ道で精一杯生きることしかない、と思ったのでしょう。
自分の弱さを認めることができて、なお芯の強さがある、この女性はほんとに素敵な方ですね。
ちなみに、じぷた通信社のキャッチコピーの前振りに「だれにもきっと物語がある」という言葉を入れています。偶然ですが。
さだまさしが『主人公』を書いた理由
さて、歌詞についての考察は上記で終わるのですが、一つ整理をつけておく必要があります。
さだまさしが、なぜこのテーマを選んで曲をつくったのか、という点です。
テーマが最重要 テーマに曲をつけ、曲に詞をつけるのが、さだまさし流
ラジオ番組「平原綾香 HEALING(TOKYO FM 2019年3月3日放送)」の中のトークで、歌を作るときの手順について、さだまさしは次のように述べました。
㋐何を歌にするべきかテーマを探す
㋑テーマを決める。
㋒テーマを元に曲をつくる
㋓曲に対して詩をつける
別のラジオ番組でも同様のことを話しておられるので、例外もあるとは思いますが、多くの場合、このように作っているのでしょう。
さだまさしは、テーマの設定を最重要と考えているようで「今、気になっていることとか、感動していることとか、これは伝えないといけないなという責任感とか、そういうものの中からテーマを選ぶ」という意味合いのことを話しています。
「自分が書くべきテーマなのか」については、相当きちんと考えているとのことでした。
『主人公』のテーマとは
さだまさし自身は『主人公』について「当たり前のことしか言っていない」と評しています。しかし、「当たり前のこと」なのに、わざわざテーマに設定し、曲を作り、何かを表現したかったのです。
なぜなのでしょう。
『主人公』の歌詞には、難しい言葉や遠回しな表現は使われていません。あなたの笑顔がまぶしいと思ったり、自分自身を「きらめいていた」と躊躇なく表現したり、実にストレートに彼への感謝や自分の気持ちがつづられています。
つまり、『主人公』は単なる人生の応援歌として作られたのではなく、「ストレートな表現を用いて迷っている人を勇気づけたい」ということが、『主人公』におけるテーマであり、表現したかったことなのだと思います。
それは、一見冷めているように見える若者たちへのメッセージ
『主人公』が発表された1978年の頃、当時の若者たちは「しらけ世代」などと呼ばれていました。何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した言葉です。
これはじぷたの予想ですが、さだまさしは「若者は冷めてなんていないよ」と思っていいたのではないでしょうか。世相というレッテル張りで「しらけ」といわれても、「そんなこたぁねえよ」と思っていたのだと思います。
若さゆえに迷ったり、苦しんだりすることはだれしもあるはずです。迷いや苦しみから這い上がろうとする熱い気持ちも持ち合わせています。にも拘わらず、「冷めている」「しらけている」と十把一からげにくくってしまうのは、いかにも乱暴な話ですし、若者に対して失礼です。
そんな若者たちへの「わかってるよ」というメッセージを送る必要があったのです。
だからこそ「ストレートな表現」による、「熱い」人生の応援歌を曲を作らねばならないという義務感が生じ、『主人公』は作られたのだと考えます。
まとめ
『主人公』は発表当時の若者に向けたメッセージです。
本当は熱い気持ちを持ちながら、世代として「しらけ」といわれた若者たち。しかし、そんな当時の若者たちも、過去の若者たち(さらに言うと今の若者たち)と同様に、若さゆえの苦しみや迷いを抱えているわけです。
本当は熱い情熱も持っている若者に対して、同時に苦しみを感じている若者に対して、熱くストレートに応援メッセージを送るのがさだまさしの想いであり、『主人公』のテーマだと思います。
40年の時を超えて、今なお愛される『主人公』という曲。
当時の若者の空気も振り返りながら聴くと、余計に強い気持ちになれるような気がします。
『主人公』心にささる名曲です。
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